所沢保問協のあゆみ

■1970年代の保育環境

  1970年代(昭和40年代)、所沢市の保育は今のような環境ではありませんでした。たとえば

☆入園式は4月8日~4月20日に設定→入園式までは家庭で保育

☆慣らし保育が2週間→上記の日程では仕事を1か月以上休むことに

☆給食のメニューの一例:トン汁とたくわん。白飯は持参

☆お昼寝→マットレスに3~5人が一緒に寝る

☆入園時の準備

→園服、カバンの購入。粘土、粘土板、クレヨン、お絵かき帳、名札、はさみ、ノリの購入(はさみ、粘土板以外は毎年購入)。

 さらにビニール袋、ティッシュ、セロテープ、はほぼ2週間に1回提出が必要など保護者にとって負担の大きいものでした。

■1977年(昭和52年)所沢保育問題協議会結成!

所沢市の子どもたちの豊かな成長を願い“こどもをとりまく大きい仲間の手をつなごう”と結成

 公立保育園、民間保育園の父母会と職員、市職員労働組合、学童連絡会、新婦人の会、市教職員労働組合、その他個人加盟で結成されました。

<保問協の設立により>

①安心して子どもを預け、安心して働くことができる保育園を作ってほしい!そのためにも“入園式の日程と慣らし保育の改善を”と要求。また、それを実現するのも「保育士たちの責任でやってもらうのではなく、行政として責任をもって実現してほしい」という考え方を基本に市に要求しました。

 同時に保育士たちと理解しあい、保育士の組合(市職労保育部会)を通して公立20園の保育士と意見交換しながら進めました。

 

②保護者負担も軽減しようと教材や日用品はなるべく公費で揃えてもらうよう、市へ要求。

 

③子どもたちによりよい環境を…と、“昼寝の個人布団の実現と給食充実を”市に要求しました。

■1983年(昭和58年)

 2年間の話し合いの末、保育士も保護者もお互いの立場を十分理解しあい、現時点で歩み寄れる範疇として入園日を4月4日とする(1984年は4月3日に、以降4月1日に近づける努力をする)。また、協力保育期間(春・夏・年始年末)は廃止!

慣らし保育は一定の期間を廃止し、子どもの状況を大事にしながら、保護者の仕事状況を十分考慮し、実施していくこととなる。 

 以上の内容は市と保問協とで「覚書き」を交わしました

 

 

■1984年(昭和59年)

 ☆個人布団の実現、以降、市の貸与となりました

 ☆同時に、クレヨン、粘土板、自由画帳、はさみなどの教材も公費で準備されるようになりました。

 ☆ビニール、ティッシュ、セロテープなども公費で購入されるようになり、保護者負担が軽減されました。

 ☆給食内容も少しづつ改善。

 

駐車場問題が徐々に浮上

  このころから車通勤の人も増え、子どもの安全のために駐車場の確保が大きな問題となっていきました。

  保問協では保育園近くの駐車場を借りてもらえるよう運動を進めました。この結果松郷保育園に駐車場が作られ、また園舎改装時には56台の駐車スペースが作られるようになりました。しかし「足りない」の声は今もあり、引き続きの課題となっています。

 

■1998年(平成10年)

 

 1983年の覚書に「努力する」と明記されて15年、やっと保護者の願いが実りました。

  保問協・児童福祉課・園長会・保育部会からなる4者検討会を発足させ

 ☆入園準備日は3月の第4土曜日とする。

 ☆卒園式は3月の第2土曜から第3土曜の期間とする

 (現在は各園で園と卒園児保護者との話し合いで決定)

 等が確認・合意されました。

 

■1999年(平成11年)

  長年の保護者の願いだった4月1日入園式が実現。

  同時に完全給食も実現しました。

 

■2000年(平成12年)

  育児休業中における3歳未満児の保育が実現

 (上の子を家庭でみるため退園するという選択肢もあり、その場 

 合は、翌年元の保育園に戻れることをも保証されました)

 

■2003年(平成15年)

  民間障害児保育の補助金が増額

  (¥63,800→¥80,000  ¥16,200増)

 

■2008年(平成20年)

  民間障害児保育の補助金が増額

  (¥80,000→¥94,000  ¥14,000増)

 

2015年(平成27年)

 

 2000年の約束を反故にし、所沢市が育児休業中の世帯の在園児を退園させる「育休退園制度」を導入。さまざまな問題が出ています。